2013年12月アーカイブ
順番の問題...
( 2013年12月17日 11:26 )「順番が違うんだよね...」
日本の英語のさきがけのような大先輩がふとした瞬間に声にした言葉でした。
それはちょうど、日本人がどうして英語に抵抗感を覚えるのかという話をしていた時でした。
「日本のね、今の英語教育がね、間違ってるんだよ。
よく考えてごらん、日本人が日本語を覚えるときって、どうやって覚えてる?」
う〜んと考えていると、その大先輩が「日本人が日本語を覚えるときは、親の話に耳を傾けてじっと聞いているんだよ(hearing)。そして、ある日、しゃべりだすんだよ(speaking)。そして学校に入ってから、話している言葉を書く(writing)ための文字を覚えて、最後に読む(reading)んだよ。
ところがね、今の日本の教育は読み書きから始まるんだ。
一番、難しいところから始めるんだよね。それじゃぁ、抵抗感が出てもしょうがないよね...」
なんだか、とっても納得してしまいました。
他にも同じようなことを述べている本を何冊か読んでいましたが、この大先輩の言葉が一番、すっと入ってきました。
確かにその通りなんです。
脳機能科学的にといっても、それはとっても遠い感じで、それができれば苦労しないよという感じになりますが、この先輩の話を聞いた時には、「あぁ、そうなんだって」思ってしまいました。
これを聞いただけで、より身近に英語が感じられるようになった感じがします。
小さなころからテレビでシンプソンズを流しておくだけでも、意味はあるんです。
ただ、親ができないだけで(子供は英語だろうと日本語だろうと面白いものにはくぎ付けになるだけですから)
なんとなくこれからの英語教育への指標が見えたように思えました。
こういうアドバイスはどんどん取り入れていきたいですね。
親しき仲にも礼儀あり
( 2013年12月10日 14:11 )「ドレスダウン」というファッション用語がある。これはフォーマルな服装をカジュアルに着こなすという意味で使われています。これに似たような言葉として「カジュアルダウン」という言葉がありますが、これはカジュアルな服装をよりカジュアルに着こなすという意味です。
この時、定説としてファッション界で言われているのが、最初にふぁっしょんをカジュアルで始めた人は、いくら高級なスーツを着ても、どこか崩れてしまうということ。
わかりやすく言うと、シブカジでファッションを始めた人は、社会人になって、どんなにいいブランドのスーツを着ても、どこか決まり切らない、最後のきちんと感が出てこない(シブカジ・ファンの人たち、ごめんなさい!)、つまりイギリスの紳士のようなノーブルな感じが出ないのです。(別にイギリスの紳士風が正解と言うわけではありませんが...)
実は、これは英語にも言えます。
最初に崩れた言葉と発音を覚えてしまうと、なかなかきちんとした話し方ができなくなってしまのです。
時折、学生時代、留学をしていて、ショップなどでバイトをしていたという人たちが、社会人になってから海外との仕事で、いったい誰に話しかけているのかというような話し方をしているのを見かけることがあります。
正直、日本語で言えば「おばちゃん言葉」または「友達言葉」で、大切なクライアント先と話をしている状況なのですが、当の本人たちは至極真面目に、ビジネス英語を話していると信じています。
話が通じればいい、という考え方もありますが、実はこういう話し方をしていると、欧米の人たちからはそれなりの人たちだというレッテルをあっという間に張られてしまい、同時にビジネスそのものに対しても同様のレッテルが貼られてしまいます。
それを知らず、相変わらずなれなれしい話し方を続ける日本サイドの担当者たち。
海外から来た彼らは、その時、心の中でほくそ笑むのです、「まぁ、この程度の会社なら軽いな...」と。
戦う必要はないですが、やはり見下されないようにだけはしておきたいですね。
自分の話し方と言葉遣いに要注意です。
最近お気に入りの本
( 2013年12月 2日 15:44 )最近、私が面白く読んでいる本の1つにデイビッド・セインさんが書いている「その英語、ネイティブは×××しています」シリーズがあります。
「そうそう、そうそう、私もそこが気になる!」と思うことが書かれているかと思えば、「あ〜、そうか、気が付かなかったけど、間違って使っていたかなぁ」などなど、英語を使って仕事をしている身としては、非常に役に立ちます。
特に、英語をある程度、身に着けた人たち(私も含め)がやってしまう失敗や、日本人的感覚だとわかりにくい英語のニュアンスなど、とても明瞭にわかりやすく書かれています。
しかもシリーズごとに、英語を使っている人間としてぶつかるジャンルを抽出してくれているので、今自分が置かれている状況に応じて手に取る本がわかるようになっています。
また、読み解いていく中で、「そうか、確かにそうだけど、この場合、私はこんな風に言うけど、それはダメ?」など、いろいろ疑問がわき出てきて、それを紐解こうとすると、言葉の奥深さに出会い、「英語ってやっぱり面白い!」と思える感じです。
さらに、海外チームとの現場でのやり取りの言葉に対しても、自分の英語の使い方に対してとても敏感になれるので、結構、いいなぁという感じです。
例えば、今までは自分がわかればいいやと思っていた気持ちが、彼らが話す言葉1つ1つに意識がいったり、英語を発するほんの一瞬に、何かが意識に引っかかって、自分の話す英語に注意が言ったりと、発見することばかりです。
同時に日本語に対しても変わったような気がします。
自分の話す言葉がどのように相手に響くのか。自分で自分の発した言葉がどこに落ちているかをきちんと見極めるようになったような気がします。
たかが語学、されど語学。
語学は使い方によって人を傷つける道具にもなりますし、人の心を温める道具にもなります。
言葉を探求することは、人との関わりを探求することでもあり、それが強いては世界への広がりとなるのではないかと思っています。
言葉を勉強することは、本当に楽しいですね。