2014年9月アーカイブ
腑に落ちる瞬間とは パート2
( 2014年9月20日 14:47 )前回、腑に落ちるというのはどういう瞬間かという話をしましたが、ではその脳にうまく計算をし終わらせるためにはどうしたらいいのでしょうか?
という問いを出されたとき、逆の発想をしてみたらどうでしょうか?
なぜ、脳にうまくアクセスして計算をさせることができないのか。
答えは2通りあるのではないかと思います。
1つ目は、脳の中に提示された方程式に関する知識がないというケースです。
小学生にいくら因数分解の式を提示したところで、彼らにはそれが方程式であることすらわかりません。どんなに便利なものでも、その意味を解さない限り、猫に小判です。
それよりは、その子のレベルに合わせて、その子達が理解できる加減乗除の世界での言葉に置き換えるという作業を行った方が利口です。
ところが、多くの人が相手の知識レベルを確認もせずに、自分の世界観で物事を推し進めます。
そして、嘆くのです。相手に話が通じない...と。
相手がどのレベルの知識を持っているのかを見極める(「観る」という行為は必要です)のは、相手を腑に落ちさせるためには必要なことだと思います。
そして、2つ目は、相手のRASが強力に働いている可能性を考えることです。
RASは本人にとって必要だと思う情報以外はスルーまたは拒絶します。
そして、問題はスルーされているケースです。
拒絶されている場合は、まだわかりやすいのですが、スルーされている場合は、感覚としては理解されている、許容されているという感覚と似ているため、相手が腑に落ちているのかどうかわかりにくく、奇妙な感覚だけが残ります。
この場合は、厄介です。
特にそれが本人にとっての自己防衛になっているような場合、相手のゴールの設定をし直すところから始めなければなりません。
本人にゴールがなければ、脳は計算を始めないのです。しかも臨場感の高いゴールです。
臨場感が伴わなければ、脳はふりをするだけです。そして何も変わらないのです。
相手がどのような状況にいるのか。
それを見極めることが、腑に落ちる瞬間を作るための1つの方法だと思います。
「腑に落ちる」瞬間とは パート1
( 2014年9月20日 14:47 )腑に落ちる瞬間とは、フレームまたは系が閉じた瞬間のことを意味するのだということを最近、感覚(体感)を持って理解したところです。
実は、この「感覚を持って」ということが非常に重要で、人は言葉で理解していても、体感を伴った理解をしない限り、真の理解を得ることはできないということです。
私がこのことを理解するにあたって大切な経験があります。
それは、既に30年を経ようとする友人と20年以上前に会話していた時のことです。
友人が「お前の言うことは、言葉としては理解するけど、わからない」と言いだしたのです
その時、ひどくショックを受けたのを覚えています。(さすがにもう覚えている程度で、その時のように痛みを伴って思い出すことはありませんが)
それから20数年を経て、その時、友人が何を言いたかったのかという現象を理解したところです。
つまり、友人は言葉という記号はインプットされるものの、それが自分の持つ経験値の中の意味と結びつかなかったということだったのです。
(例えば、love=愛ということは言葉でわかっても、恋愛をしたことがない人にはその本当の意味が分からないというような感じです)
その原因は、そこに経験値がなかったからです。
人にとって経験値というものは、人格を形成するうえで非常に重要な構成要素です。
なぜなら、経験を通じて、初めて人の脳はそのことに対する計算を始めます。
そして、自分なりの計算結果をはじき出します。(この時の計算結果は、学校で教わるような1つの解答に限りません。答えは無数にあるのです)
そして、1つのフレーム、系を形成するのです。
そして、この脳が丁度計算を終えた瞬間が、俗にいう「腑に落ちる」瞬間だと思っています。
では、この腑に落ちる瞬間をどう作ればいいのか?
少し長くなりそうなので、この続きはパート2に回そうと思います。
英語って、やっぱりロジカルだなぁと感じるとき。
( 2014年9月13日 18:26 )英語って、本当にロジカルだなぁと思うのは、他人が書いた日本語を英語に翻訳するときです。
私自身がA級の翻訳者かと聞かれると、それはまだまだブラッシュアップしないとと思うのですが、それでも、時々、「ビジネスの取引先に英語でメールを打ちたいから翻訳してくれる?」と言われて翻訳を頼まれます。
ということで、さぁ、頑張りましょうかとなった時に、ハタと手が止まるのです。
英語に書き下そうとして、日本語を追いかけていくと、S+V+CまたはS+V+O (+O)に落とし込めないことが多々あるのです。
1つの文章の中に、主語として明記されていないのですが、第2、第3の主語が隠されていたり、それぞれに対して主語があったり、目的語があったり...
英語には主語がない文章は成立しないため(もちろん、itやthereだとかで逃げる方法はありますが転)
「ん?! どれがどれに対応しているの?」
となり、結果、その文章を書いた人に連絡を取ります。
そして、そこで言いたいことの内容を確認します。
その時にやる作業が、1つの文章の中にてんこ盛りになっている要素を1つずつ分解していくというものです。
「AはAですね。といういうことは、ここから始まる部分は別の話で、Bということですね。ただ、このBもAとの××という兼ね合いから出てきている話ですね。そこで、この最後の部分は、AとBを考えると結論として、こういうことじゃないかということをいいたいCとなるということですね? この理解の仕方で正しいですか?」といった具合です。
こうやって分解して、初めて英語に日本語を落とし込めます。
もちろん、A級以上の翻訳・通訳の人たちは、こんな風には聞かずに、文章を読んだ瞬間に内容を理解して英語に訳しているのですが、でも、想定するにやっている作業は同じなんだろうなと思っています。
このことを考えると、本当に日本語は他国の人たちから見ると、複雑怪奇な言語なんだろうなと感じます。
そして、英語は組み立てがロジカルだなぁと感じます。
ただ、英語がこのような明快で方程式的な構造を持つようになった背景には、ここに至るまでの歴史がかなり影響しているんだろうなと思っています。
皆さんも時間があるときに、自分の知っている英単語でいいので、日本語を英訳してみてください。
意外な発見をすると思います。
仕事に効く 教養としての「世界史」
日本語の感覚がなぜ危険なのか。
( 2014年9月 6日 18:28 )会社でミーティングを終えた時、結局、何が決まったのかよくわからなかったことってありませんか?
そして、ミーティングルームを出た後に、同じミーティングに出ていた同僚を捕まえて、「あのさ、あれってさぁ、こういうことだよね...」という風に聞いたこと、ありませんか?
2時間、3時間と話し、ミーティング中はわかったつもりでいたはずなのに、ミーティングを終えて部屋を出た瞬間、「あれ、結局、今回の打合せで何か決まったんだっけ???」と腑に落ちない感覚を持つことは日本のビジネスシーンにおいてよくあることです。
これは、実に日本語がもたらす効果だと私は感じています。
「物事を曖昧に話すことができる言語」である日本語だからこそ、実際は何も決まっていないことでも、その場においては何かが決まったかのような錯覚に陥るのです。
そして、問題は、そのミーティングの内容を、さて、海外の取引先に連絡しようとして、担当者はハタと手が止まるのです。
返事をしなければならない案件に関して答えようとしたときに、日本語の感覚のすべてを明確に言葉に表さないけど、よろしくね的な文章を書こうとしても、英語的には成立しないのです。
Itを使って書けばという人もいますが、いずれにしろ、文章自体が肯定文か否定文しかないので(もちろん仮定文はありますが、仮定文も肯定か否定のいずれかになります)、どちらかに物事を振り分けて書き始めなければならないのです。
その時に初めて担当者は困るのです。
さっきの打合せの内容はOKだったのか、それとも否定的な話だったのか。
日本語から英語に変換する作業をしたことのない人は、日本語のように書いておけばいいというのですが、日本語のように否定でも肯定でもない、玉虫色の文章というのは、英語の構造上、上記でも書きましたが、ないので、書きようがないのです。
(まぁ、英語でもそういう表現の仕方は、小説などの世界で、文章を途中で終わらせるという形を取られている場合がありますが、ビジネスシーンで文章を途中で辞めていたら、単なる文章の間違えとみなされるだけです。「文章が途中で終わっているけど」という突っ込みが来るだけです)
もちろん、非常に英語に堪能な人がこの辺りのニュアンスを微妙な表現で書かれているケースはありますが、それを読んだ際、他の国、特に欧米の人達は、「後は皆さんの想像にお任せします」ということであれば、「では、僕たちが理解する方向で動かすか」ということで、彼らの意思のままに物事が動かされていくことになります。
そういう事態に陥って日本人ははじめて、それは違うだとかと反論をし始めますが、時は遅しです。
物事は最初のとっかかりが非常に大事です。途中からひっくり返すことは、始めの一歩と比べた場合、容易ではありません。(結婚は簡単だけれど、離婚は大変だというのと同じです)
日本人にとって、白黒を明確にすることは精神的にヘビーなことなのですが、やはりグローバル化しているビジネスの社会において、それを行わないことは、会社自身がおかしくなるリスク要因にもなるので、そこはきちんとグローバルにおけるビジネススキルは身につけておかないといけないかと思います。
でないと、取り返しのつかない損失を生んでしまうかもしれません。